Shozo Shimamoto 嶋本 昭三

(1928-2013)は具体美術協会(1954-1972)創設メンバーであり、大胆なパフォーマンスでも知られる。
数々のユニークなアイデアと実験的な手法により、常に自他の範疇を飛び越える作品を発表し続けた。その制作生涯は、「誰もやったことのないことをやれ」という「」精神をまさに体現していた。

Shozo Shimamoto (1928-2013) was the founding member of the Gutai Art Association (1954-1972). Through numerous unique ideas and experimental techniques, he continuously released works that jumped among differing categories. His lifetime of works truly embodied a “Gutai” spirit of “do what none have done before.”

1928   1月22日大阪府に生まれる
1947   関西学院大学に入学(哲学を学ぶ)
           吉原治良に師事。
1949   この頃に支持体の新聞紙に穴を開けた作品を制作する。
1950   関西学院大学を卒業。
1954   8月具体美術協会結成に参加。
1955   機関誌『』創刊、編集を担当する。(64年第14号まで発行。嶋本は発行人などを務め国内外に配布した。)
         「第1回具体美術展」(小原会館・東京)《この上を歩いて下さい》を発表。(以後、68年第21回展まで連続出品。)
1956   吉原製油西宮工場及び今津浜でライフ誌が具体会員の制作風景を撮影する。
         「一日だけの野外展」武庫川河口の廃墟、兵庫(ライフ誌の取材に応じた非公開展示)
         「野外具体美術展」(芦屋公園・兵庫)に「大砲絵画」を発表。
         「第2回具体美術展」(小原会館・)で「投擲(とうてき)絵画」を発表。
1957   モダンアート協会会員となる。
           機関誌『』第6号に「絵筆処刑論」を寄稿する。
         「舞台を使用する具体美術」(大阪産経会館、東京産経ホール)でパフォーマンス《物体の打壊》およびミュージック・コンクレートの音響作品を発表。
1958 「舞台を使用する具体美術第2回発表会」(朝日会館・大阪)《具体映画》を発表。
1959   イギリスBBCテレビのカメラマンが、2日間にわたって金山明、、白髪一雄、鷲見康夫、吉田稔郎、吉原通雄の制作風景を取材する。
1960 「インターナショナル・スカイ・フェスティバル」(高島屋屋上・大阪)
1962 「グタイピナコテカ開館記念展」(大阪)
         「嶋本昭三展」(グタイピナコテカ・大阪)具体会員の連続個展、第1弾。
         「だいじょうぶ月はおちない〈具体美術と森田モダンダンス〉」(産経ホール・大阪)
1964 「第14回具体美術展」(高島屋・大阪)
1965 「ヌル1965」(アムステルダム市立美術館・オランダ)
1970   万国博美術展〈屋外展示〉《ガーデン・オン・ガーデン》を具体会員が共同制作する。
           万国博みどり館エントランスホールに具体全員の作品が展示される。
         「具体美術まつり」(万国博お祭り広場)における人間と物体のドラマ。
         「1000人の花嫁」(万国博お祭り広場)のアートプロデュースをする。
1972   具体美術協会解散。
1976   メールアートを本格的に始め、年間60か国8,000のネットワーク交流により多数のプロジェクトに参加する。
1979  「吉原治良と具体のその後」展(兵庫県立近代立美術館)
1980    京都教育大学教授に就任。
            個展(大阪府立現代美術センター)
1982  「美術劇場:明日の美術館を求めて」展(兵庫県立近代立美術館)
1984    招待パフォーマンス(フンダートマルク画廊・ケルン)
1985  「吉原治良と「」1954ー1972」(芦屋市民センター・兵庫)
1986    G.A.カベリーニが来日し、嶋本の頭に自伝を書く共同パフォーマンスを行う。以後、ヘッドアートを行うようになる。
          「前衛芸術の日本」展(ポンピドゥー・センター・パリ)招待出品。《この上を歩いてください》と「2つの映画」の音源が収蔵される。
1987   アメリカ、カナダ10か所を周り、各地でパフォーマンスを披露する。
1989   ロンドンよりレニングラードまで13か所で展覧会を開催。
1990   ネイティブアメリカンのデニス・バンクスと、平和と差別撤廃を求めヨーロッパ7,000㎞を走る。
1991  「嶋本昭三個展」(ギャラリエ・サンダー・ダルムシュタット・ドイツ)
1997    個展(フンダートマルク画廊・ケルン)パフォーマンスを行う。
1998  「アウト・オブ・アクション」(ロサンゼルス現代美術館(MOCA)、オーストリア応用美術館(MAK)、1999年バルセロナ現代美術館、東京都現代美術 巡回)
ジャクソン・ポロック、ジョン・ケージ、ルチオ・フォンタナと共に展示されカタログで評される。
           アラン・カプローと台湾の美術館や大学で共同パフォーマンスを行う。(台南、高雄、台中、台北の4か所)
1999   デヴィット・ボウイ、オノ・ヨーコと共にヴェネツィア・ビエンナーレに招待出品。
           100年かけて引き継いでいくコラボレーションアート『平和の証』の制作を開始する。 (新西宮ヨットハーバー・兵庫)
2000   気球から地上にペイントを投下するパフォーマンスを行う。(プイイーシュールソーヌ
        城・ディジョン郊外・フランス、日本ユネスコ・フェリシモ美術館共催)作品はユネス  コ本部(パリ)に展示される。
2001   イギリスにおける日本年「JAPAN2001」に招待され、《穴》(1954年)がテートモダンに収蔵される。
2003   ヴェネツィア・ビエンナーレ「Extra.50」に招待。ビン投げパフォーマンスをする。
2004   女拓のパフォーマンスを行い、作品3点がカ・ペーザロ―国際現代美術館 (ヴェネツィア)に日本人で初めて収蔵される。
2005   歯ブラシの先に絵を描く世界最小の「ナノアート」を発表する。
ヘリコプターによるパフォーマンスを行う。(トレーヴィ・フラッシュ・アート・ミュジアム・イタリア)
2006   招待パフォーマンス(ダンテ広場・ナポリ)クレーンに吊るされペイントを投下するパフォーマンスを行う。
           個展「嶋本昭三作品50年代~90年代」(モッラ財団・ナポリ)
2007   ヴェネツィア・ビエンナーレ「P3プロジェクト」(Spazio Arte dei Mori)にスペシャルゲストとして招待される。
2008   イタリア各地で招待パフォーマンスを行う。(ナポリ、ソレント、ジェノヴァ等)
           個展(ヴィッラクローチェ美術館・ジェノヴァ)
2009   個展(オッフィチーナダルテ画廊・ローマ)
2011   個展「嶋本昭三作品1950-2011」(パラッツォ・マニャーニ美術館・レッジョエミリア)
         「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」(愛知県美術館、翌年東京国立近代美術館巡回)ビン投げによるオープニングパフォーマンスを行う。
2012 「軽井沢の風展 日本の現代アート1950-現在(いま)」(軽井沢ニューアートミュージアム)開館記念式典にて最後のパフォーマンスを行う。
         「―日本の前衛18年の軌跡展」(国立新美術館・)招待出品
2013   2月25日没。享年85歳。
         「:素晴らしい遊び場所」展 (グッゲンハイム美術館・ニューヨーク)