Jiro Yoshihara 吉原 治良

吉原は、「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したい」という意志を持ち、戦後復興期に関西で結成された前衛美術集団、具体美術協会の創設者。「」は、20世紀後半の重要な美術運動のひとつとして世界の美術史に名を残す。画家としても日本の抽象美術界をリードする傑出した存在だった。

1905年、大阪の油問屋に生まれ、独学で油絵を学んだ吉原にとって、大きな転機が訪れたのは初個展開催直後の1929のことでした。藤田嗣治との出会いによってオリジナリティーの重要性に目覚め前衛芸術家として歩みます。

1954年、阪神地域在住の総勢16名の芸術家とともに具体美術協会を結成、49歳で代表に就く。主な会員に白髪一雄、、田中敦子らがいた。絶対的リーダーとして、“これまでになかったものを創れ”“抽象的な表現であること”の2点を徹底して要求。メンバーたちは、唯一無二で目に見えない自己の精神の在り様を、色、形、物質で表現するため、革新的な素材や手法に加え、行為や身体性、時間性といった抽象概念も作品に持ち込んだ。1957年のフランス人美術評論家ミシェル・タピエとの出会いが転換点となり、“”は欧州で熱く注目されるようになった。