吉原通雄(1933-1996)は関西学院大学在学中の1954年に、父の吉原治良が代表を務める具体美術協会(略称「具体」)の結成に参加。1972年に同協会が解散するまで会員として活動しました。スクラップを再利用した作品、電球を地面に埋め込んだ作品、油彩の上に灰を撒いた作品、スライドを映写する作品など多岐にわたる素材・技法の実験を経て、1957年には支持体にコールタールを流し込み、砂や小石を撒くという手法を確立します。しかし1962年には突如スタイルを一変し、多彩な色紙を丸めて額に詰めた作品や、部屋の一隅から流れ出るかのように大量の紙テープを吊り下げた作品など、それまでとは全く異なる方向性を打ち出し、まさに父の言葉「人の真似をするな」「今までなかった絵を描け」を作品として生み出しました。また自身の発表にとどまらず、具体が舞台を使った表現をする時などは常に音響を担当するなど、精通分野で積極的に携わり多岐にわたる創作活動を行いました。